uenoa

空気展 - what is "kuuki" in Architecture?

Project Date
計画地:東北大学
製作:2015.11
用途:展示計画
素材:構造用合板
写真: 走出直道

建築を媒介として伝われる名状しがたい何か

東北大学トンチクギャラリーで開かれた「空気展 - what is "kuuki" in Architecture?」は、伊藤友紀、植村遥、魚谷剛紀、長谷川欣則、細海拓也という、若手建築家5名のプロジェクト展だ。この5名の建築家は、「若手建築家の登竜門」として知られる大阪の「U-35展」(2014年度)への出展で知り合うと、その後、独自に展覧会活動をはじめた。昨年末〜今年にかけては、南青山のプリズミックギャラリーで「魚谷剛紀×長谷川欣則×細海拓也展」と「TIMESCAPE展」を行っている。東北大での展覧会は、彼らにとって3度目のグループ展ということになる。このように、グループで展覧会活動を行うことは建築界では珍しいものであり、それだけでとても興味深い動きである。

「空気展」は、ドライな分割と、ゆるかな混在という、相反する性格をもつ。5名の建築家はそれぞれ3つのプロジェクトを出展している。この計15プロジェクトのひとつひとつに展示台が充てがわれる、というのが展示方式の基本だ。ただ、構造用合板で組まれた各展示台は、幅・高さ・奥行きが異なるうえに異なる角度に振られ、台座端部一点がぎりぎり接するよう、数珠つなぎになって楕円状に並べられている。また、展示物の正面は基本的に楕円外側に向けられているのだが、ときおり内側に向けているものもあったりして、ルールは曖昧である。そして何より、15個のプロジェクトが、建築家ごとにグルーピングされずに、シャッフルされていることが面白い。こうした会場構成はまず長谷川が基本案を制作したうえで、メンバーが意見を出し合い、デベロップしていったものだという。段階的な制作プロセスを経て、単純さと混乱の共存する本展は生まれたわけである。

出展プロジェクト15個は敷地や規模や用途が多種多様である。郊外の戸建住宅、都市部に立地する集合住宅、家具のような小規模でテンポラリーな作品、海外のコンペプロジェクト、等々…。見学者はこれらを単一の「まとまり」として捉えるべきではないだろう。むしろ、単一の焦点を結ばない楕円状の会場構成に従って、各プロジェクトをまずは個別的に、そして複眼的に見るべきである。

各出展作家には際立った個性がある。長谷川は、建築の拠ってたつ周辺環境を、目に見える自然物や建物から見えない制度的なレイヤーに至るまで丁寧に読み取る。「正面の家」は、形状の異なる新旧街区の境界に立地する戸建住宅であり、その境界性をファサードや平面構成にまで落としこんで設計されている。細海のプロジェクトでは、施工や構造の合理性を確保しつつ、建築がボリュームに還元されたうえで大胆に操作される。新潟の集合住宅2作は、白色や透明性を志向する日本の建築の主流からは外れたマッシブでクールな表情をもつものだ。伊藤は、建築を人との関係性から現象学的にとらえる作品を展示した。「ひとりのおばあちゃんの行為からうまれる建築」は、人の動きから立ち現れる住宅の様子を表現する、5000枚もの平面ドローイングによるアニメーションである。魚谷の出展作は、浜松・富山・横浜という異なる土地で進行中の住宅プロジェクト。富山の積雪地域に計画された「V house」は、「ハ」の字型の壁を二層組み上げることで、太陽光を採光と融雪に有効活用する住宅なのだが、地域全般に展開可能なプロトタイプ(形式)として提案されていることが興味深い。植村の実践は、構造や材料をきっかけにした、より実験的で抽象的なものである。ステンレスを吹き付けて保温性や遮熱性を高めたカーテンである「ファブリックスキン」は、室内外をゆるやかに分断/接続する、柔らかな外殻(スキン)として考案された新材である。

以上のように概略しただけでも、出展作家それぞれが有する独自性や特殊性は伝わると思うのだが、しかし、そうした作家各人に現れる「作家性」なるものを、本展は、プロジェクト単位でシャッフルする会場構成によってあくまでも最前面には押し出さない。展覧会では個性的なプロジェクトがグルーピングなしで隣り合わせに置かれた。こうした「ばらばら」な印象をこそ、5名の出展者たちは積極的に押し出そうとしているように見える。展覧会タイトルは「空気」。air、atmosphere、space等々、「空気」という日本語は、きわめて多義的で「日本的な」曖昧さを含みこんだ言葉である。本質的に多義的である「空気」という日本語をタイトルにする当たり、出展者側もあえて特定の意味に還元はしていない。この「空気」はあくまでも、多義的で受け手側に想像の余地を残す日本的な「空気」である。「空気」はタイトルであり、それゆえ出展者側からのメッセージだが、そのメッセージの内容は「メッセージは特定の意味を持たない」という非メッセージと言うべきものだ。「ばらばら」なプロジェクトを包括する解釈や視点は、展覧会鑑賞者に大きく委ねられている。

こうした態度に表明されたのは、出展者の、建築に対する信頼でもあろう。特別なタイトルの設定、ないしは一方的なメッセージの送信がなくとも、建築を媒介とすれば、出展者と鑑賞者のあいだにコミュニカティブな関係性が生まれる——それこそ「空気」のように自然で曖昧な状態で。そのような建築への肯定的な雰囲気が本展には流れている。

最後に印象的な出来事をひとつ。冒頭で触れたとおり、会期中には、出展者5名と、中国人若手建築家チャオ・ヤンによるトークセッションが開かれる機会があった(チャオはちょうど、ギャラリー・間「アジアの日常展」に関連したレクチャーを行うために東北大学を訪れていた)。チャオは中国では異例と言うべき建築家で、というのも、中国建築界を構成する「設計院」と呼ばれる「組織派」と「アトリエ派」のどちらにも属さず、都会から僻地に移り住み、小規模で個人的な実践を進めているからなのだが、その彼と、この「空気展」に出展した建築家のあいだに奇妙なシンクロニシティが生まれていた点が興味深い。それは簡単に言ってしまえば、政治的なダイナミクスからの距離の取り方であり、単純な新奇性を追求することへの疑義であり、それらに代えて、みずから設定した建築的問題に真摯に個別的に取り組むことの真面目さである。チャオによれば、中国語の「空気(kōngqì))」はairそのものであり、日本語のような多義性はない。しかし、異なるコード(言語)を飛び越え、セッション中に生まれた、シンクロニシティ的な「何か」。偶然的に生まれたそれを突き詰めていけば、大仰なタイトルやメッセージを代替する「空気」のような領域は、より明瞭になるのではないか。

市川紘司/中国近現代建築史 東京藝術大学美術学部建築科教育研究助手